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自分の制作とムンクと
houses

自分の専攻が実技から研究に変わったのは8年前(早っ!)。
気づけば相当な時間が過ぎてました。
美術高校の3年間+美術学部の4年間=7年より、
芸術学の修士2年+1年休学+博士3年+オーバードクター2年=8年
の方が長くなってたんですね。思ってもみなかった。

そんな私ですが、
今回、とあるモデルハウスに掛ける絵を描かせてもらいました。
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| 美術や芸術のこと | 23:59 | comments(0) | trackbacks(0) |
日本美術ツアー1:与謝蕪村展@MIHO MUSEUM
IMG_2644.jpg

研究室の田○先生に誘われて、
滋賀県のちょっと遠くまでお出かけしてきました。
参加者はその田○先生(日本美術史担当)とそこの学生2名、
別のゼミの学生1名、1回生2名と私の合計7人。
先生と私が運転手です。

朝は瀬田駅に9:15集合だったのですが、
なんせ瀬田だし、混んだらいけないと思い、
余裕をみて1時間前くらいには家を出ようと計画・・・
してたものの、
前の晩、3時くらいまで(締め切りが迫ってて)起きてたので、
6時の目覚ましに全く気づかず、
ふと目が覚めたのが7時半過ぎ。
「うおー!これはやばい!」と思ったけれど、
そこからお風呂に入って、用意して、8時半過ぎに出発。
同じ比叡平の学生をひろって、
コンビニに寄って、朝ご飯を買って、
山を下りだしたのが8:45。
着いたらジャスト9:15でした。ほっ。
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| 美術や芸術のこと | 23:59 | comments(0) | trackbacks(0) |
色の名前
授業中

今年の春から私が非常勤に行っている専門学校
(「お化け屋敷?」「『ウソ』のつきかたを教える」)で
後期の授業が始まりました。
歯科技工士科の前期とは異なって、後期の対象は歯科衛生士さんの卵。
どんな授業を求められているのか、衛生士科の先生方にうかがったところ、
必要とされているのは
・将来、歯科医院でポスターや配布物といった媒体をつくったりできる能力
・患者さんがリラックスできるような、医院の環境づくりをするために、
色彩が感情や感覚にどう影響を与えるかの知識(とできれば実践)
ということでした。
なので、今回は形態の捉え方ではなく、
平面媒体の作成と色彩についての理解を深めるということを目標に、
授業の計画をたてました。

第1回目の今日は、「色の名前」です。
まずパワポでざっと講義して、「色が見える」とはどういうことかを説明。
「これが赤だ」と私たちが思い込んでしまう色の名前というのは、
便宜的につけられたものでしかないことに気づいてもらいたかったのです。
そこで黄色から赤までのグラデーションを見せて、尋ねます。
「これは何色?」「黄色」
「これは何色?」「オレンジ」
「これは何色?」「オレンジ」
「これは何色?」「赤」
「これは何色?」「赤」
違う色なのに、「オレンジ」や「赤」という同じ名前で呼ぶというのは、
「オレンジ」「赤」という固定の色があるわけではないことがわかります。
また、その境目にある色はずの色はどっちに分類したらいいのでしょう?
それに、そもそも分け方自体も人によって違うはず。

さらに根本的なことを探ると、違う文化圏では色の名前が異なっています。
身近な例だと、日本人の考える紫とvioletはかなり別の色。
ちなみに、文化が発展すればするほど、色の名前は多くなります。
未開の民族ほど、色の名前は少ない。
茶や灰色、桃、橙といった混合色に固有の名前がつけられるのは
かなり発達した文化においてのみのことです。

・・・という長ったらしい前置きは早々に切り上げて、実習〜。
今使っている色の名前が
実は相対的で便宜的なものでしかないということがわかったところで、
一旦その縛りから脱出してみることを目指します。

方法は、正方形に切った50色の色紙をペタペタ貼付け、
それぞれに「自分で」命名してもらいます。
でも今までにある名前は禁止。
生徒が「これは使って良い?」「これはダメ?」と聞いてきました。
その中でおもしろかったのは
「空色」はアウトなので「雲のながれる空色」、なかなかうまい。
「読書に目覚めたときの気持ち色」とか詩的な子もいました。
「おじいちゃん」「おばあちゃん」ときて、
「おとうさん」「おかあさん」「うちの犬」というのもありました。
「京都」と名付けた子はたくさんいましたが、みんな違う色でした。
抽象的なイメージだとずれが出ておもしろい。
一方、「スティッチ」と名付けられた色は、みんな一緒でした。
具体的なものを指すと同じになるのは当たり前ですが、
結構、人間の記憶というのは正確なことがわかりますね。

また、50色の配置にも、自分なりの規則をつけてもらいました。
「春夏秋冬」と区分に分けた子あり、
自分の好きな色から嫌いな色まで並べた子あり、
隣同士の組み合わせが自分の感覚に合うように並べた子あり。
並べることに時間をかける子、色の名前が出てこずに書けない子、
立ち止まるところも色々でした。
でも大体、20色を越えたあたりから、ネタ切れしてくるみたいですが、
そこから出てくる名前がおもしろい。
時間内に終われなかった子もいるので、来週回収しまーす。
来週、家でゆっくり笑わせてもらおうっと!

この授業のヒントになったのは、高校時代の最初の色彩構成の授業。
同じように色紙(もっと色数は多かった)を1センチ角に切り、
明度順、彩度順にならべるという、超スパルタな授業(笑)
違う色相の色をまぜると難しいよ・・・
でもあの頃は、私自身、色の名前についてちゃんと考えたこともなかったな。
絵の具の色が絶対固有名みたいな気がしてました。
| 美術や芸術のこと | 23:59 | comments(4) | trackbacks(0) |
「世界」という枠


京都国立近代美術館で開催されている
「舞台芸術の世界〜ディアギレフのロシアバレエと舞台デザイン〜」展の
オープニングに行って来ました。

ロシアのバレエというのは、20世紀初頭に大きな変化を見せました。
というのは、それまでの「クラシック」バレエの殻を打ち破って
前衛的な美術と舞台の領域を統合しようとするグループが登場したからです。
その代表が、このディアギレフさんが率いた
「Ballets Russes:バレエ・リュス(ロシアバレエ団)」だったわけです。
そんなこんなで「バレエ・リュス」は
(ロシアで一度も公演したことがないのですが)
ロシア前衛バレエの代名詞のように扱われています。

でもね、
今回見てきて実感したのは、
バレエ・リュスはバレエの枠組みを決して出ていないということ。
言ってしまえば、ちゃんと舞台装置があって、書割りがあって、
その中に納まりうる範囲での実験だったのです。
振り付けや衣装は、民族性を意識したものになっていたり、
俗っぽい形のエロティシズムというか、
いわゆる「タブー」も犯したりしているけれど、
劇場に来ている観客は「きれいに着飾ったお金持ち」みたいな。
バレエ・リュスが打ち破ったのは「クラシック」バレエの殻なんだから
別にそれでいいんですけれど。「バレエの殻」は出ていないなと。

ところで、このバレエとか、舞台とか、名前の定義が実は難しいんです。
私が研究しているオスカー・シュレンマーというドイツ人に関する本に
「Tanz, Theater, Bühne」というものがありますが
英語だと「dance, theater, stage」
日本語にすると、「ダンス、演劇・劇場、舞台」ってとこでしょうか。
「舞台」の研究をしていると、ひっかかる言葉です。
シュレンマーはこの辺の問題をウロウロしていて
だからこそ私の興味をひくわけですが。
この言葉についてですが、私は
ダンスは、まあ、身体性が大事で
舞台はその空間的なことが問題で、という使い分けを大雑把にしています。
一番やっかいなのは、theater。
演劇とか劇場とか訳されるけれど、
ストーリー性の有無だったり、芝居なのか、パフォーマンスなのか
細かいところで、結構、微妙な扱いをしなければならない言葉になります。
そういう領域をまたぐところにあるものは定義がややこしいのですが、
その点ではバレエ・リュスはあまり難しくないところにいるのです。
あくまで「バレエ」ですから。
舞台上で物語を踊って表すということを決して越えないのですから。

もちろん、その他の舞台に関する展示もありました。
コメディア・デラルテというもともとイタリアの仮面喜劇をはじめ
カーニバル性があるものとか、
「ブルー・ブルーズ(青シャツ)」グループのプロパガンダ演劇とか。
でも展示内容はタイトル通り、「舞台デザイン」の枠内です。
というか、「舞台芸術の世界」なんだから、世界はまあるく閉じてるのね。

関係ないけれど「世界」で思い出しました。
最近めちゃめちゃ嫌いな言葉の一つ「世界観」。
「○○さんの世界観が現れてて〜」とかよく聞きません?
この言葉をテレビで使っている芸能人は一発で嫌いになります。
大抵、「雰囲気」という程度の意味で使われているけれど
だいたい「世界観」なんてすごいものを持っている人はそんなにいないよ。
だから「世界観」と言う人はちゃんと言葉を選ばずに
何となくいい加減に発してる感じがするので嫌い。
ついでに言うと、
インタビューされて、必ず頭に「そうですね〜」って言う人も嫌い。
そういう人は必ず1回のインタビュー中に
「そうですね〜」を何度も何度も連発します。
あー!考えただけでイライラしてくる。

・・・閑話休題。
なんとなくジワジワと、「枠内に納まる」感を強調してきましたが、
実は枠を越えようとするものが私は好きなのです。
あらゆるものの「境界」が好きなのです。
だって「境界」を跨ごうとするものの方が、問題提起として大きいし、
「境界」の内と外を分けるものが何なのか、考えさせてくれるでしょう?
なので、この展覧会では、資料は提供してもらえたけれど
新しい発見はもらえなかったという感想です。
(この展覧会が決して面白くないわけではないですよ。、
「私にとって」のこの展覧会の位置づけは、という意味です。)
この時代のロシアには、もっと私の興味をそそる
舞台表現・身体表現があるので。
それが出てなかったのがちょっと残念だったのです。
まあ、ディアギレフがメインならそれも仕方ないか。

最後に一つだけボヤいておきたいのが図録。
正誤表が一枚入っていて、それはよくあることなのだけれど、
正誤表に書かれていない間違いを発見。
最初の論文タイトル
「舞台芸術の世界:1990-1945年における演劇、オペラ、ダンスのためのロシア・デザイン」
って、「1990-1945年」ってなんだ?
目次もそうなってる。
変だなと思って英語の方を見たら「〜circa 1900-1945」となってました。
ああ、そうか。・・・ってここは解決したけれど、
他にも間違いがあるんじゃないかと疑ってしまいます。
それもまたちょっと残念。

途中で脱線した内容も内容だし、
私、今日機嫌悪いな。
| 美術や芸術のこと | 23:59 | comments(0) | trackbacks(1) |
リサとガスパールとマネ


私が好きな絵本は
「あまがさ」
「ロッタちゃんとじてんしゃ」
「スーホの白い馬」
「ペンギンたんていだん」をはじめとするペンギンシリーズですが
これらに加えて、何年か前に一番新しくお気に入りに加わったのが
「リサとガスパール」です。

この「リサとガスパール」を最初に知ったのは絵本の原画展でした。
他の絵本と並んで、「リサ・ガス」出ていたという程度の頃です。
ですので、今ほどの人気ではまだありませんでした。
先週半ば、京都伊勢丹の「えき」で開かれていた
「リサとガスパール&ペネロペ展」へ行ってきましたが、
そう思うと、単独の原画展なので今の人気はすごいですね。

「いい絵本」というのは、
ストーリーと絵の両方が均衡を保つくらい力を持っているものだと思います。
そういう点では、上に挙げた絵本は、どれもが本当に「いい絵本」です。
今回、「リサ・ガス」展を観てきてやっぱり感心しましたが、
ハンスレーベンは本当に上手いです。
あの「ユルさ」は何度も何度も絵具を重ねて作った
非常に手の込んだ「ユルさ」です。
でも、鉛筆で簡単にスケッチしたものには的確なデッサン力が現れています。
それに構図も、いろんな視点が考えられる中から精査して選ばれているようで
キャラの状況や心情を最も的確に表し、
それでいて新鮮な視点や構図が、見る人を引き込んでくれます。

そんな風に見ていたら、面白い作品に会いました。
写真の「リサとガスパールのピクニック」です。
これ、マネの「草上の昼食」のパクリ、もとい、引用ではないですか!
思わず、レターパッドを買ってしまいました。

リサとガスパールとマネの草上の昼食

この「草上の昼食」は、1863年の作品ですが、
当時ものすごくスキャンダラスな作品でした。
サロンという公式な展覧会に出品するも落選。
そして落選展(こういうのがあるところが笑える)で公開されましたが
やっぱりバッシング。
というのも、裸の女の人が絵に描かれているからです。
それまで裸体は女神など、人間ではない人であるべきだったのですが、
こちらに視線を向けていたり、着衣の男性が横に並んでいることで
どうしても現実世界へのつながりが出来てしまいます。
当時の人々は、動揺したんでしょうね。
「こんな作品はけしからん!」とカンカンになったそうです。

そんな「問題児マネ」の作品ですが、ハンスレーベンは単に
「ピクニック」というところから発想して引用したのでしょうね。
さほど深い意味はないと思います。ホントのところは知らないけど。
でも、これを読んで育った子どもが将来マネの作品を見て
「あ!リサ・ガスの絵だ!」とか言うと思うと
・・・にやけてしまいます。
そんな子どもがいてもいいな。

っていうか、リサ・ガスは全員「裸にスカーフ」やん。
それに体形的に立膝できないリサが、マネをまねて
がんばって左足の裏をこちらに出そうとしているのに無理がある。
| 美術や芸術のこと | 15:31 | comments(2) | trackbacks(0) |
「ウソ」のつきかたを教える


昨日、例の歯科技工士の専門学校(2007.04.09の記事参照)にて、
最初の授業をしてきました。
高校までの美術の授業に
いい思い出がある人は少ないと覚悟していったので、
生徒さんたちが期待以上にちゃんと取り組んでくれたのは嬉しかったです。
朝から昼までの2コマ(1年生)と、
昼から夕方までの2コマ(2年生)、
計4コマっていうか丸一日でした。くたくた。
基本的には2学年とも同じことから始めたのですが、
全時間数のこともあり、2年生の方が少し急ぎ足で。

授業計画書を書いているとき、
彼らにとって一番必要な美術とは何かを考えました。
美術史的な知識は、はっきり言って必要ない。
彼らが最終的に身につけないといけないのは、
人の義歯を作ること。
ああ、そうか。いくら小さくても
物をつくる人たちという視点で教えればいいんだ。
しかもこれからは小さなものを扱うことがほとんどだろうから、
扱いやすいある程度の大きさがあるものを使って、
三次元の形を紙の上に表すということを今のうちにしておくのが、
基礎として必要なはず。
ということで、まず最初の一歩。
昨日は鉛筆でりんごを描きました。

高校までの美術って、絵を描かせるのに、絵の描き方は教えてくれない。
やりかたをしらないのに、うまく描けなんて無茶だと思います。
三次元のものを二次元にうつしとるなんて、所詮ウソの世界。
そのウソをどうやってうまくつくか、それにはコツがあります。
「知識」と「慣れ」と「客観的な目」とでもいうのでしょうか。
だから、りんごを使って、
輪郭線とは何か、
丸いとはどういうことか、
影ができる、赤く見えるということはどういうことか、
鉛筆はどうやって使ったらいいか、
などを説明しながら、実際に手を動かしてもらいました。

ワイワイさわぎながらやる生徒あり、
黙々と自分の画面に集中する生徒あり、
「先生いくつ?」、「好きなスポーツは?」と詮索してくる生徒あり。
どんな方法であれ、
一度でも「描けた!」と感じる経験をしてもらいたいものです。
そういう満足感というか達成感が、
絵を描くことへの興味や、技術的な進歩に不可欠なのだと思います。

だって、「art」という言葉はもともと「技術」という意味なんですから。
ちゃんと練習すれば見につくものなんです。
| 美術や芸術のこと | 09:59 | comments(2) | trackbacks(0) |
今日は私、明日はあなた


グンナール・アスプルンド展(於:京都工芸繊維大学)へ行ってきました。
スウェーデン人の建築家であるアスプルンドは
生涯にわたって墓地の仕事に携わったらしく、
タイトルの一節は、彼の作った「森の墓地」の門に書かれているそうです。

西洋の考え方に
「メメント・モリ:Memento mori(死を想えよ)」というのがあります。
絵画で頭蓋骨などが描かれたり、死神などが出てくるのは
こういう背景からです。
「生は儚いものでこの世での贅沢などは空虚なものだ」という戒めは、
キリスト教では大事な教えなのでしょう。
ですから「今日は私、明日はあなた」もこの意味なのかもしれません。
展覧会内での説明では、
これが何語で書かれている言葉なのかはわかりませんでした。
そのままのラテン語だったらこういう意味かもしれませんが、
もしかしたらスウェーデン語なのかもしれません。
気になるところです。

しかし少なくとも、
アスプルンドの建築を見ながらこの言葉を読んでいると
そのような教義的な言葉には感じられませんでした。
「人は死んだら森に帰る」
という想いがスウェーデン人の心にはあるそうですが、
このひっそりとした「森の墓地」で、先に逝ってしまった人が
こちらで嘆き悲しんでいる人を「待っているよ」と
静かに慰めてくれる言葉に聞こえました。
墓地に眠る人がこちらに語りかけているように。

そして同じ「森の墓地」内にある礼拝堂には、
そこは残された人が亡くなってしまった人を想うところですが、
反対にこんな言葉があるそうです。
「今日はあなた、明日は私」
アスプルンドは詩人ですね。
いつか自分の足で行ってみたいところがまた一つ増えました。

ところで、アスプルンドとは全くイメージが違うのですが
私の大好きなミュージカルの一つであるRENTに
「Today 4 U」という曲があったのを思い出しました。
歌詞に繰り返される「Today for you, tomorrow for me」。
ああ、そうか。
このミュージカル自体のテーマは
「No day but today(あるのは今日という日だけ)」でした。

絡んだ紐の結び目が一つ解けた気分。
| 美術や芸術のこと | 15:55 | comments(0) | trackbacks(0) |
展覧会に行く理由


またもや最終日前日になってしまいましたが
「えき」でやっていた「ウィリアム・モリス展」に行ってきました。
しかも「宿題」の出題者を連れて。
別にこれを見て欲しいという意味ではなくて
単に私が行くつもりだっただけで、たまたまです。
付き合わされた方は、やはりなかなかの苦痛だったようですが。

私自身が美術館に行く理由は
最近では、作品に対する興味如何は関係なくなっています。
言ってしまえばモリスだって、もう何度も見ているし
自分の勉強とわずかばかり触れるところもあるので
以前、少しばかり文献資料にも触れました。
だから新鮮さはありません。

それでも実際に美術館まで足を運ぶことは
無駄ではないと私は思います。
それはまず
実際のサイズだとか質感だとかを「体感」できるということ。
印刷物や他のメディアを通しては
「知った気分」にはなれますが
「経験」はできません。
他にも、展覧会場という空間に閉じ込められることによって
否が応でも情報を叩き込まれるというメリット(?)があります。

ではなぜ、そもそも新鮮でもなければ
今すぐ必要でもない情報を得に行くのかと問われるかもしれません。
でも私は、知識とか経験とかって
前もって蓄えておかなければ
必要な時には絶対出てこないと思うのです。
今は「ふーん」、「へーえ」で終わる体験も
いつか「ああ、これってあの時の!」に繋がる時が来るはずで。
網目を細かくしておくから、ひっかかることができるのです。
もし空っぽの箱しかなかったら
これから入ってくる情報をどう整理していいかもわかりません。
そもそも次に来るネタを見過ごしてしまうかもしれません。
こういう理由で展覧会は
自分が普段なら目を向けないようなものにも
強制的に目を向けさせてくれる
私にとってはいい機会になるのです。
だからジャンルが違っても、出来るだけ行きたいとは思います。
(それが最近は「ずぼら」になっているのですが。)

とまあ、現在の私はこんな理由で行っていますが
子供の頃はただただ親に連れられて
よくわからないまま行っていました。
その体験の中から次第に
「ああ、これ好きだな」という感覚が出てきて
次第に能動的にいろいろ選択するようになりました。
だから最初は誰だって「ふーん」で当たり前なのかも。
| 美術や芸術のこと | 11:12 | comments(4) | trackbacks(0) |
宿題


実はわかっていたけれど、触れられなかったことがあります。

自分は芸術に興味があるのに、それを伝えようとしないこと。
自分の周りには、むしろ「よくわからん」と思う人の方が多いこと。
だから「わからん」と言われることが怖くて、
わかってもらえる自信がなくて、
自分からはあまり触れないでいたのだと自覚していました。

そんな私を見かねてか、業を煮やしてか、
「作品を観て何をどう面白く(もしくは面白くなく)感じているのか?」
という質問に答えを見つけるという宿題を出されました。
期限は無期限。

どうやって伝えよう?どうやったらうまくわかってもらえる?
これってつまりは「芸術作品の見方」です。
そんなの作品の時代によって違うし、切り口は無限にあります。
でもこんな答えでは納得してくれるはずがありません。
だってそれは、最低限自分から興味を持って
「見る」という行為が習慣化している私たちの言い訳。
いっそ「別にわかってくれなくていいよ」と放棄すれば楽なのでしょうが
そんなのはいやです。
つまりは「あなたのやってることはつまらないよ」と言われて
認めていることになりますから。
この宿題は「あ、おもしろいかも」と少しでも興味を持ってもらえるまで
合格点がもらえません。

一人になって早3時間近く考えたのですが、相当難しい。
本棚をひっくりかえしてみても
なかなか答えに結びつくものが見つからない。
閉じられた専門分野の文脈内で
ツラツラと文字をしたためる方がよっぽど楽です。
でも逃げるわけには行かないので、
少しずつ思い立った時に、思い立った順に、
言葉にして整理していこうと思いました。
だって期限は無期限。

「ああそうだ、だったらここに書こうかな」と。
すごく断片的で散漫になりそうなので
ひとまずこのテーマとそれ以外とにカテゴリーを分けてみました。
このブログを始めた時は、単に近況報告のつもりだったので
まさかカテゴリーの機能を使うことになるとは思っていませんでしたが。

ということで
ちょこちょこ書いていくので、ちょこちょこご意見をください。
でも、出来れば「わからん」という言葉だけは言わないで!
受け入れ拒否のような気がして泣きたくなりますから。
わからなくても長い目で見てください。

だってこの宿題の期限は無期限!
| 美術や芸術のこと | 02:48 | comments(2) | trackbacks(0) |
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